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青春の記者クラブ。みんなでソープに繰り出したのも青春の香り

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記者クラブの青春。今思えば俺たち、完全な"高プロ"だった


徳島など地方の警察本部の記者クラブには、6月くらいまでに大手新聞社やNHKの、本社で研修を終えた新人記者が次々、配属される。全員ライバルであり全員仲間。仕事では激しくしのぎを削っても仲は良く、深夜はしょっちゅう遊びに行った。

まあ、今働き方改革で話題の高プロみたいなもんだったなみんな。休み無し、勤務時間エンドレス。でも残業代は結構、あったかな。

どの社も朝から午前1時くらいまでは普通に拘束されたので、クラブの仲間が友だち。晩メシはいつも"おふくろ"という食堂から一緒に出前を取った。こんな勤務体系だから誰も彼女はできない。いない。でも若い。

その頃、クラブで


ソープランドの香ばしい思い出


飲みに行くと誰かが必ずソープに行きたいよぉ…と。『カネねーよー』と言いながらも誘惑には勝てず、融通し合ってご入店となるケースが多かった(汗)僕はN○KのU君によくソープ代を貸した 笑

今は知らないが、風営法で定められてたのかどうか。各個室の上部が筒抜けで、隣の話し声も良く聞こえた。

で、部屋に入るとなぜか必ず支局からポケベルを鳴らされるのがA新聞のM君だった。記事の問い合わせだったり、翌日の予定確認だったり。隣からけたたましくピーピーポケベルが鳴るとみんな記者だから気になり、それどころじゃない(それどころって…汗)

その時、聞こえてくる嬢との会話は『直ぐ会社に電話しなきゃ』とあせるM君

じゃあバスタオル巻いて受付の電話借りにいこっか?』と女の子。

『もし事件やったら教えてくれよな!』と、両隣の部屋から大声で頼む…(汗)

M君とは何度こんなやり取りしたものか。しかし腰にバスタオルを巻いて玄関の受付カウンターで電話って…入って来たお客さんはビックリだったと思う。

こんな訳で女っ気のない当時の若手記者にとってソープはオアシス。マジで嬢たちは心身を癒してくれる女神様でありました。東京、札幌から来てる超美形の嬢が多かったような。

みんなそれぞれ偉くなり、そしてもう退職したけど、会ったら当時のこんなエピソードで盛り上がる。僕らの数年後に新人だった連中はもっと仲が良く、徳島でン10年ぶりの"同窓会"とかしたようだ。

僕らより3〜4年上は団塊世代。だいたいその歳で新聞記者などになってるのは学生運動経験者。アタマも仕事もかなり優秀な連中だったが、われわれみたいにつるんで遊ぶのは、嫌いみたいだった。

聞けば最近の若い記者は絶対にこんな人間関係はないんだという。つるんで飲みにも行かないとか。もっとも最近は記者クラブも女性記者が半数くらいいるから、ソープ云々のこんな話しはまずできないんだろうな。

新人記者の1〜2年間。みんな人生で一番、楽しかった時でもありました。仕事もむちゃくちゃしたな。

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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