県議会議員となり初めての一般質問に登壇したのは1994年の2月議会だった。

会派の方で私の質問が決まるとまず総務課の職員が『先生の質問担当になりました』と、やってきた。
それはあくまで事務的なお手伝いをしてくれるだけだということは知っていた。
驚いたのはその数日後のこと。ドヤドヤと総務部や土木、商工、農林、保健など各部の課長や課長補佐クラスが数人単位で、私の元にやってきたのだ。
最初は何事?と思ったが皆んな口を揃えて『先生が質問と聞き、こんなのを作ってみました』と。
見ればA4のペーパー1〜2枚にその所管の事業内容についてあたかも質問してるような形の原稿ではないか。
つまり"先生の代わりにこんな質問を作ってみました。良かったら使ってください"と、言うことなんだろうと、直ぐに理解した。
ということは彼らは自分で質問Qを書き、その答弁Aも当然、自分たちで書いてしまうということ。まぁ、茶番のシナリオ。
"こんな茶番を俺にしろっていうことか⁈"と、内心ムカッとしたが、そこは新人議員だ。
彼らのプライドを傷つけてもいけないので、
『他に質問したいことがあります。また、データ的なことは問い合わせますが、これは結構です』と。
そして『僕は書くことが仕事だったので、たぶん皆さんより文章は上手いと思います』と、ちょっと皮肉だけは言わせてもらい、お引き取り願った。
以来、20年弱の議員生活だったが、こんな舐めたことは2度とされなかった。

どれだけの議員がこんな茶番をやっていたかは知らない。
質問が当たると書くスピードが早い自分でも1週間位は忙しかったが、何も準備する気配もなく当日、登壇し、なぜか質問を終える先輩はかなりいた。
今、振り返ると私たちがリコールした大田県政はわずか11か月だったが、この間は知事と議会に緊張感があった。
大野党となった自民党系会派の議員も知事にガチンコ質問を繰り出し、十二分にチェック機能を発揮した。
私はこの時は充実した議会の日々だった。
知事と議会の馴れ合いは間違いなく県勢を衰退させる。4月からの新しい県政では与野党関係なく、議場では知事、議員が丁々発止の論戦を展開して欲しい。
それが県を発展させる二元代表制の真骨頂なのだ。
もりもとなおき