'70年代初め足かけ3年で3人を殺害したとして死刑判決を受けていた高田和三郎死刑囚が、死刑執行されないまま東京拘置所で先日、88才で亡くなった。死因は肺炎で病棟に収容されていた。

死刑判決確定から21年、ついに刑は執行されず、病死
最初の犯行時はまだ40才。2度目が41才、3度目の殺人が42才だった。
一審、二審は死刑判決を受け、最高裁へ上告。死刑が確定したのは1999年だ。最後の犯行から何と25年も経っており、すでに67才だった。そしてさらに刑は執行されないまま21年が過ぎていた。
四半世紀にも渡る長い裁判、そして高齢が高田死刑囚の命を救ったのかもしれない。
強盗殺人で3件3人を殺害したとして逮捕、起訴され死刑確定
高田死刑囚は埼玉県内で1972〜1974年にカネ目当てで3人を殺害し、強盗殺人罪に問われ、死刑が確定した。
確定判決によると高田死刑囚は1972年(昭和47)年2月、不動産ブローカーの男と共謀。借金をしていた男性に返済を迫られたため、頭をハンマーで殴って殺害した。
またその翌年1973年7月、犯行の発覚を恐れて共謀した不動産ブローカーをジャッキで殴り殺した。
さらに1974年2月には、多額の預金を持っていた知人男性の頭を石で殴って殺害、預金通帳を奪って約300万円を引き出した。
凄まじい犯行だ。まさにカネのために3人もハンマー、ジャッキ、石で殴り殺すという残虐なやり方だったとされた。
単独犯でなく共犯を主張、部分冤罪として再審請求も
しかしながら3件の事件は主犯とされる人物がおり、その男は自殺したとされた。だから高田死刑囚の犯行はあくまで共犯で、3件とも単独犯ではないと主張した。
これら犯行の凶器も出ていなかったようだ。さらに2人目の殺害は被害者の遺体も出ておらず、高田死刑囚や弁護団は部分冤罪を主張、再審請求をしたこともあった。
もちろん今となっては真相は闇の中。自白が最重要で、科学捜査などまだまだ一般的ではなかった時代だ。
死刑執行こそされなかったが、あまりに長い獄中生活だった。
もりもとなおき