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45年前の新聞、街に舞う。記事は私の早稲田大入学式の事件!

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1973年4月3日朝日新聞朝刊

信じられないこともあるものだ。徳島市内に住む私の友人のドクターが道を歩いていたら、こんな新聞が風に飛ばされ足元に。見れば1973年4月3日の朝日新聞朝刊。45年の時を経て、何故か徳島市内で風に舞った。

これです

私の入学式の日の記事が!

実は実は、この記事の日に私も早稲田大学に入学したんです。

何せ当時もマンモス大学。新入生だけで8学部1万人!

全国の大学では有数の規模を誇る記念会堂(アリーナ)にも新入生全員が入れないため、入学式は4学部づつ別れ午前、午後に。

私は午後の部だったのでお昼ころはまだ下宿の部屋に。大学に向かうのはまだ早いかなとテレビをつけたら、まさにNHKでこのニュースを!

軽い衝撃だったのでアナウンサーが読んだ当時のニュース内容もはっきりと覚えている。

『紛争続く早稲田大学で、入学式に反革マル派の学生が乱入。壇上で祝辞を述べていた村井総長の頭に南京袋を被せ、連れ去りました。このため、入学式は中止に……』

間違いなくこんな内容でした。

学園紛争真っ只中

当時の早稲田大学は前年、自治会を握る革マル派に文学部の学生が殺害されるという痛ましい事件がありました。

このため革マル派とそれ以外のセクトが、全国の大学の活動家を早稲田に動員。 両者が主導権を争い、連日のように学内を主戦場にまさに血で血を洗う壮絶な内ゲバを繰り広げていました。

総長を連れ去ったのは学内の反革マル派のグループ。総長は直ぐに教職員に助けられ、解放されたようです。

こんな訳で恐ろしいキャンパスでスタートした大学生活。1年くらいは学内でいつ内ゲバがあるやも分からず、『とんでもないとこに入っちゃったな(涙)』との思いでした。

こんな状態が学内で普通に…泣

その頃の私(左)

なぜ新聞が45年もあとに…

それにしても45年間、こんな綺麗な状態でこの新聞記事を誰が持っていたんだろうか?謎ですね。

同じ年に入学した人が記念にとっておいて、捨てたのが風に舞ったのかなとか考えてます。

私は友人のドクターがフェイスブックに投稿しているのを見て、このことを知りました。

友人たちに写真を送ったところ、みんな当時を懐かしく思い出していました。

(写真は数ヶ月前にいただきましたが、やはり記録としてブログに残すことにしました)

もりもと なおき

  • この記事を書いた人

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森本 尚樹 早稲田大学卒。元新聞記者。約20年間、県議会議員を務めました。現在は福祉関連の会社の参与と在京シンクタンクの研究顧問

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