先生の存在、指導は子ども心に絶対だった小学生時代
小学校時代は教師に対する信頼感は絶大だったのを覚えている。
親の小言はあまり聞かなかったが、先生に学校で指示されたり教えられたことはよく守ったし、実行した。
それほど子どもたちにとって先生の存在感は大きかった(もっとも小学校までだが)
今思えば暴力教師もたくさんいたし、えこひいきの酷い教師もいたんだろうが、その時代はごく普通のことだったんだろう。
職員室にもよく遊びに行ったが、子どもながらに殺伐とした雰囲気を感じたけとはなかった。
その何十年も経って小学校のPTA役員をした関係で、職員室を訪れる機会もよくあったが、先生たちの人間関係は少なくとも一般の会社よりも民主的なように感じた。
神戸4人組、戦後教育史に残るほどの学校内不祥事であり事件といえる
私の中で職員室のイメージはずっとこんな感じなので、神戸市立東須磨小学校の事件には本当に驚くと同時に呆れ果てた。恐らくや戦後教育史に残るだろう。

リーダーとボスは違う。小学校教師を目指す人たちはどちらかと言えば、民間会社はもちろん中学、高校の教師になる人よりもおとなしいイメージがあるし、知る限り間違ってはいない。
だからどうしても校長と繋がっていたりしたらその教師が校内で変な力を持ち、間違ったリーダーシップを発揮してしまう。
今回の事件の背景には神戸方式という校長がお気に入りの教師を自分の元に呼ぶ、とんでもない人事が慣例化していたことは大きい。
東須磨小学校のケースはこの典型的なパターンだ。
前校長お気に入りの女帝ら4人組が恐怖で?支配した職員室
女帝と言われた4人組の中の40代女教師は前校長のお気に入りで、現在の校長より力を持っていたらしい。
また男の中にも前校長のお気に入りがいた。
前校長が結局、この連中にチカラを持たせてしまい、そのリーダーシップが良い方向に働かずいじめグループを形成し、特定の弱い教師への暴行・暴力いう形になったのではないだろうか。
そういう意味で前校長の責任は極めて大きいと言わざるを得ない。
4人組にとったら20代教師をいじめるのは、遊び、ストレス解消になっていたのは間違いない。
多くの校長と教育委員会の隠ぺい体質が、学校をダメにしてきた
ひとつはっきりしたのは、校長や教頭は場合によっては何のチカラもなく、教育委員会に不祥事が発覚しなければ良いと考えている。だから不祥事はできるだけ隠蔽する。
この教育者の体質がいつも問題を大きくし、子どもの自殺などを招いてきた。
東須磨の土壌はどこにでもあるだろう。
もりもと なおき